- 最近エルンスト・ヘフリガーを聴きたくなってな。しかし例によってうちのCDマントルに埋まってしまって聴きたいCDが見つからないんだ。それでしょうがないんで改めて買おうとしたら、アマゾンであるコメントを見た。「明治時代に西洋音楽により、日本独特の歌曲が生まれた。その歌曲を西洋の人間であるヘフリガーが歌うという、この錯綜。」まあ、面白いことを言うよな。その通りなんだけどな。それで思い出したのがこの曲なんだ。http://www.youtube.com/watch?v=D_YPYkxWBDk&feature=related以前に梶浦由記という人を知って、以来大ファンなんだよ。中でもこの曲が好きで、しょっちゅう聴いている。何か日本人の情緒というもの、悲しさ、夢、というものが詰まっている音楽に私には感じられる。歌詞を別にしてもな。この哀愁のメロディに、それが在る、と私には感じられるんだ。音楽のことなら君に聞きたいと思ってな。君はどう感ずるかな?
kamiyawarさん今晩は。私にリクエストを出されるなんて珍しいですね?ちょっとまだ聴いていないので、今から聴いてみます。随分拙い見解と感想になるとは思いますが、書いてみます。少々お待ち下さい!追記拝聴しました。やはり当然ですが、西洋と東洋のエッセンスを5:5で感じましたね。何というか、壮麗な教会建築と、戦前・戦時中の日本の情景が両方頭に浮かびました。このメロディから感ずることは、日本的な事を言えば「現代」というものはあまり感じなかったように思います。日本人が日本人らしく生きていた時代の空気感を感じます。清澄なる心、といいましょうか・・・何というか感覚的ですが、特攻隊員が出撃する前夜に妻をあてがわれて、初めての夜を過ごす時の心の状態、というか・・・悲しみ、というのは私も感じましたが、悲しみの種類が、今風の俗っぽい悲しみとは違うものが流れていると感じます。「夢を見ない」と歌詞ではいっていますけど、そうなのかなあ・・・?と。何というか、もうどうしようもない状態で、希望を見出せないし、今にも死を思っているような人間の精神。しかしその中でも必死で希望・夢を見出そうとする悲壮なる精神・・・を感じました。途中、鐘の音のようなのが聴こえて・・・それが教会を連想させたのかなあ・・・西洋東洋両方の要素を含み、そのどちらにも深い情愛が感じられます。しかし言語は日本語なので、主要な聴衆はあくまでも日本人ですね。しんしんと雪が降る夜中に、貧しい家庭が暖を取ってつつましく暮らしている。圧制で世は暗く、明日の命も保証されない状態・・・「夢は見ない」。しかし現代的な富と名誉と安定の追及といった夢は見ないが、次代に何かを残したい、といった夢は見る、といったような。荘厳な悲しみと、清澄なる精神と・・・それとどこか、新芽のような美しさと、優しさ、立ち直る力を感じるような音楽でした。私の好きなイギリスのバンドで、「ベイビーシャンブルズ」というのがおりますが、そのバンドの楽曲に「ベッグ・スティール・オア・ボロウ」というのがありますが、以前その楽曲のことを「この曲、バンドはジャン・ジュネである。どうしようもないロクデナシが作った、どうしようもないロクデナシのための、慈愛と優しさと狂気と悲しみと絶望と、そのなかにロウソクの灯りみたいに灯る希望を歌った歌です」と形容したことがありますが、どうしようもないロクデナシ、というのは違いますが、根底に流れているものに近いものがあるのではないか、と感じました。精神科や心療内科の待合とか、茶道の茶室や、それこそ教会で流れていても不自然なく馴染みそうだな、とも感じました。非常に拙い、感覚的な感想ではありますが、私はこう感じました。僭越ながら私が掴んだこの曲の魂は、上記のようなものでした。
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