- また妻と喧嘩をしてしまいました・・・・・妻はもういい年なのに、勉強を止めようとしません。しかも勉強していた資格試験の受験は既に終わりました。なのにまだアマゾンや本屋でやたらと本を買ってきます。「時間管理術」とか「読書法」「スランプ克服法」など今の妻には役に立たないものばかりです。「若い奴ならともかく、今のお前がそんな本を読んでどうするんだ。料理とかやっていればいいだろう」と提案したのですが、妻は「貴方は人の意欲を潰すひどい人間ね勉強したいんだから勉強させて!!」と反論されました。そんな本を買うよりもっと役に立つことをすればいいと思っただけなのですが、このことで喧嘩してしまい、また妻と話が出来なくなりました・・・・・・・・・・。人間の心は難しいです・・・・・・。
夫婦とはいえ勉強や仕事の事に口を出すのはどうかと思います。奥さんはなんらかの悩みがあって勉強に気晴らしやら救いを求めているのでは?とすれば、夫は妻のカウンセラーにならねばなりません。カウンセリング理論の基礎っていうのは相手の訴えをよく聞いて「説教するな同情せよ」です。たとえば鬱病患者って頑張りに頑張って一時的に力尽きた人なんですよね。ですので、カウンセリングは「無理させるな。患者の境遇に同情せよ。愛せよ」となります。無条件で愛してくれる人がいれば、立ち直りも早いわけでその辺の配慮が足り無いですかね?不安な人は強迫的に愛を求めざるを得ない「自分の居場所」をつくる心理学」(P.57)(PHP研究所)恋愛を楽しんでいる人と、恋愛の中で安心感を求めている人では、愛情の求め方が遠う。ただ好きになってお互いに愛し合っているという恋愛と、不安から自分を防衛するために恋愛しているのとでは動機が違う。カレン・ホルナイに言わせれば後者は神経症的だということになる。カレン・ホルナイガ面自い例を出している。木に登るのに、登りたいから登るのと、野獣に追いかけられて木に登るのとあるという。自分の力を試してみたい、木登りを楽しみたいという人と、野獣に追いかけられてそれから必死で逃げるために木に登る人がいる。恋愛でもその人が好きだから恋愛をするという人と、自分の内心の幕藤を解決しなければ生きていけなくて、ある人に愛情を求める人といる。心の葛藤を解決するための恋はどうしても人に見せるための恋になりがちである。この自分の心の君藤を解決しなければならなくて恋愛する人、不安から自分を守るために恋愛する人、それらの人がまさに相手の愛の言葉を信じられない人なのである。信じられないけれども、信じたい。そこでしつこくなる。神経症者は愛情を求める。そう言うと誰でも愛情を求めるという反詮があるだろう。そがはその通りなのである。しかし神経症者のその動機は不安である。不安のない人が恋人に求めるものはまさに愛である。それに対して不安な人が恋人に求めるものは安心である。恋人が自分に安心を与えてくれることを求めているのである。強迫的に愛を求めているのである。野獣に追われて木に登る人が木に登らざるを得ないように、不安な人は愛を求めざるを得ないのである。必死なのである。木登りを楽しんでいる人とは全く違う。
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